2022年5月に発売された新書「未完の敗戦」。
目から鱗の一冊だった。
「未完の敗戦」の「敗戦」は第二次世界大戦の敗戦を指し、「未完」はいまだにその敗戦の教訓を活かしきれていないどころか、戦前の精神文化に逆回転しつつある日本の状態を表わしている。
帯に「この国は、なぜ人を粗末に扱うのか?」という刺激的なメッセージ。
著者の山崎雅弘氏は東大卒の戦史・紛争史研究家で、本書内も歴史的な事実に根ざした分析が多く、読み進めるうちに「人を粗末にする日本」について徐々に腑に落ちていく。そして、「人を粗末に扱う日本」が現在も残っているばかりか、現在進行形であることに恐怖心すら抱いた。
個人的に兼ねてより引っかかっていた、日本の政治の中枢に入り込んでいる保守派。「保守派は一体何を保守しているのか?」の答えも明確になった。
失われた数十年の渦中でにあって、徐々に世界に遅れを取っている日本。
本書では、日本の根幹に横たわる大きな問題として、真の民主主義に未到達という核心を突き、戦前の精神文化の顕在化について警鐘を鳴らす。あわせて、今後日本が立ち直り、世界からも尊敬の念を抱かれるような国になるためのヒントも記されている。
「未完の敗戦」は、今の日本を憂う人、日本をより良くしたいと考える人、そして特に「保守派」に傾倒している方々には必読だ。
以下、本書内で特に印象に残ったパートをかいつまんでご紹介する。
気になる部分があった方はぜひ書籍をご購入いただきたい。
異様な戦法「特攻」への熱狂
「爆弾三勇士」ブーム
◉大正時代までは、日本でも命は大事にされ、各作戦では命を守ることが意識された。
◉転機は1932年の第一次上海事変。三人の工兵が爆薬を持って破壊と引き換えに戦死。それを陸軍大臣やメディアが美化、賛美。映画や音楽、演劇でも次々に作品化。爆弾三勇士ブームを国とメディアが作り、国民がそれに見事に乗っかった。
天皇の神格化
◉昭和になると経済恐慌による貧困がとりわけ農村部を直撃。ところが、政治は富裕層を向いて行われた。そこで、農村出身の軍人は天皇による政治が不平等を解消すると信じて、クーデターで政治家や財界人を殺害(5.15事件、2.26事件)。
◉1935年の天皇機関説事件で、天皇は憲法ですら縛れない神として崇められる。
◉人の価値は、天皇のためにどれだけ役に立てるか、だけで評価されるようになる。「天皇のお役に立てるのであれば命を捧げても本望」という姿勢が求められ、そうでない者は非国民として排除。昭和初期には、皇国、皇軍という呼び方に。
お国や天皇のために命を落とすことが賛美される異常な価値観が日本中に蔓延していく。全国民レベルでマインドコントロールがなされていったというところだろうか。起点は貧困。貧困は、異常な思考をそうと思わせないパワーを持ち、人を変えてしまう。
特異性の高い「特攻」の浸透
◉特攻は『隊員の死と、それを受け入れる心構えが実質として目的化し、死ぬことで称賛の対象となる異様な戦法』
◉命を引き換えに敵に体当たり攻撃する特攻が実行されたのは太平洋戦争の後半3年間(1943年〜1945年)
◉特攻戦法を組織的・継続的に実行したのは世界広しといえど日本だけ
◉「特攻」は形式上は「志願」だったが、社会的にノーは許されなかった。拒絶できなかった背景には、「教育勅語」という批判的思考を一切許さない権威主義的教育もあった。
◉特攻で死んでも、魂は靖国神社に招かれ、そこで亡き戦友や家族と再会できるという死生観が軍人に広く共有されたため、特攻を受け入れる上で大きな心の拠り所になった。
「教育勅語」の画像をググって最初に出てきたのが明治神宮のサイト。
そして驚愕!
明治神宮のサイトでは教育勅語を今なお『日本人にとってなにが「大切なことなのか」を示された手本』として紹介しておるではないか!
何も知らずに無邪気に初詣でいったこともあったわい。。。
拠り所となった靖国神社
◉靖国神社は、元々は軍と警察の管理下にある軍事色のきわめて濃い国家的な政治的宗教施設として1869年につくられた
◉戊辰戦争、大日本帝国時代の戦争で命を落とした日本軍人の霊が「神」として恒久的に祀られている
◉靖国神社は、戦死者が増えてもそれを望ましい事のように礼賛する役割を担った
◉靖国神社は戦争を肯定し、亡くなった軍人を神として顕彰する平和主義と対極の価値観を持つ。
軍の保身に利用された「特攻」
◉新聞記事は、特攻を別格扱いで称賛し、国民を扇動
◉軍上層部は、隊員が喜んで特攻したかのような嘘をつき、どれほど素晴らしい戦法なのかを語った
◉実際に天皇を守れたかどうかよりも、どれほど努力し自己犠牲を厭わなかったかを評価
◉特攻で戦闘が好転する可能性はほとんどなかったため、自己犠牲そのものを評価する価値観は、日本軍上層部にとって自分達の面子や名誉の失墜を回避する上で極めて好都合だった。どれだけ戦況が悪化しても特攻継続が軍への批判避けとして利用できた。
◉どれほど戦死者が増えても、靖国神社が存在する限り軍は無制限に免責され、指導部の道義的な責任を問われない仕組み。なぜなら、戦死者が靖国神社で神として祀られる以上、指導部の失敗や不手際が戦死の原因となれば英霊の名誉も傷つくという考え方が成り立つため。
◉特攻も玉砕も靖国神社が存在したからこそ成立し得た、人命軽視を人命軽視と感じさせない戦法だった。特攻の効果が科学的に調査検証されることもなかった。
今も残る「特攻」崇拝精神
◉人権を尊重せず、組織や大義のための自己犠牲を美徳とする風潮は、敗戦後もなお日本社会に根強く残る
例)防衛白書では、天皇を守って自害した楠木正成をイメージさせる人物を表紙に起用。特攻作戦でも楠木正成は象徴的存在だった
例)若者にまで特攻をやらせた軍の責任は極めて重いにも関わらず、特攻を伝える国内施設(知覧特攻平和会館、万世特攻平和祈念館など)ではいまだに軍の責任は問われていない。ドイツにおけるナチス批判とは対照的。
例)靖国神社敷地内の遊就館という宝物館では、大東亜戦争という言葉を使って戦争による侵略支配について触れず、特攻も指導部も批判しない。戦死を肯定する価値観への反省はなく、むしろ「あの戦争は正しかった」という大日本帝国時代の認識を継承。
◉自民党議員の靖国集団参拝には、「お国のために戦って死ぬ」という戦前の大日本帝国の精神文化に引き戻す意図あり。参拝政治家による「不戦」や「恒久平和」の誓いが靖国神社参拝以外でたてられることはない。
恥ずかしながら、靖国神社がここまでヤバい場所だなんて知らなかったわい。無知というのは恐ろしいことじゃ(汗)
昔、会社が近かったからここで花見すらしたことがある笑
というか、こんな神社の桜で開花宣言とか毎年やったらダメじゃ〜
小さな話じゃけど、こういう小さなことでも洗脳効果はあるし、だからこそ地道に芽を摘んでいくことが大事だと思うんじゃ
枯れゆく民主主義の思想
「日本は優れている」という危険思想
◉1935年から1945年までの10年間、天皇を頂点とする日本の国柄や国家秩序の特徴など(国体)は世界でもっとも優れていて、その一員である日本人も世界的に優れているという価値観(国体思想)が日本を支配
◉戦後、GHQは天皇を中心とした国体を重んじる政治思想こそが世界との戦争を起こした原因と考えた
戦前の反省
◉戦前の日本国民は「臣民」=権威である天皇に仕え、命をもささげるのが務め
◉国家のために個々の人格を無視し、上位者への盲目的な服従を求めた
◉結果、上位者の過ちなどが正されることはなく、日本は滅亡の危機へと陥った
◉GHQ指導のもとつくられた「新教育指針」で挙げられた日本の問題点
①日本はまだ十分に新しくなりきれず、古いものが残っている
②日本国民は人間性・人格・個性を十分に尊重しない
③日本国民は、批判的精神に乏しく、権威に盲従しやすい
④日本国民は、合理的精神に乏しく、科学的水準が低い
⑤日本国民は独り善がりで、大らかな態度が少ない
(以上、本書より抜粋)
まるで今の日本のことを指摘されているようでドキっとしたわい
日本の新たな方向性
GHQ指導のもとつくられた「新教育指針」では以下の方針とした。
◉目的は「日本を民主的な、平和的な文化国家として立て直す」こと
◉戦争を起こす原因となった天皇を中心とする国体を重んじる政治思想を排す
・軍国主義および極端な国家主義的思想の普及を禁止
・軍事教育の学科および教練を廃止
・議会政治、国際平和、個人の尊厳、集会・言論・信教の自由など、基本的人権と合致する考え方を生徒に教え、その実践を確立するよう奨励
◉「臣民」の対極である「公民(シチズン)」の育成を目指した教科目、教科書。公民=民主主義国の主役、一人一人の自由や権利が尊重される。
◉個々の考え、批判、工夫を期待
◉人を人として扱うことを当然の姿と考える。何よりも人間の命を大切にしなくてはならない。命を粗末にすると、人間性は伸ばされないどころかなくなる。
◉いち人格として、子供ができるだけ自ら考え、自ら判断して行動し、自ら責任を負ってその役目を果たし、しかも他の人々と協同するように教え、一歩一歩人格を完成するように育てる
「人の命を大切にしよう」
こんな当たり前のような価値観がなく、アメリカから注入されないとならなかった戦前の日本というのは末恐ろしい国家じゃ。
戦前の日本に生まれていなくて本当によかったわい。
でも、悲しいことに、今も命を大切にできていないことがこの後書かれているんじゃ。。。
米の反共産主義対策で戦前思想が復活
◉戦後、朝鮮半島で米ソが対立。アメリカは、日本を民主主義国として再生させることより、共産主義勢力との戦いに巻き込んで日本を味方につけることを優先
◉1950年、朝鮮戦争勃発。日本を東アジアにおける反共の防波堤とすることを目的に、敗戦後に公職追放処分されていた日本の財界人と軍部の有力者が復活
◉結果、天皇を礼賛する大日本帝国型の精神文化を甦らせたい政治勢力「親米右翼」が誕生し、いわゆる「保守派」の源流となる
ここが歴史の大きな転換点では?
反共活動を目的に、追放していた戦前有力者を復活させるというアメリカの政治判断は正しかったのじゃろうか?
これがなければ日本の民主主義はもっとまともだったのでは?、、、と思わずにいられない。
保守派=大日本帝国の擁護者&歴史修正主義者
◉現在の保守派の特徴は、靖国神社崇拝、特攻隊の美化、太平洋戦争の正当化など
◉現在の「保守派」が保守しようとしているのは大日本帝国時代の極端な愛国精神
◉「本来あるべき状態(=戦後の民主主義)を留める」=「保守」だとすると、現在の「保守派」という言葉の使われ方はミスリード
◉保守派は、大日本帝国当時の日本が「正しかった」ことを人に信じさせることを目的に歴史を修正
<保守派による歴史修正>
・太平洋戦争はアジア侵略ではなく解放だった
・南京虐殺はなかった
・慰安婦はただの売春婦だった
いずれも、そうではなかったとする歴史的な裏付け根拠が世界中に存在しているにも関わらず、大日本帝国にとって都合のいい情報だけを切り取り、誤った歴史観を植え付ける。
「保守派」という言葉は変えるべきじゃ。
そもそも誰がこんな誤解を招く命名をしたんじゃろうか・・・?
「極右派」「反民(民主主義)派」「戦前派」「帝国派」「権威派」「歴史修正派」などいくらでも作れそうなもんじゃ。
本来守り追求すべき民主主義から「外れた」思想を持つ人たちであることをちゃんと言葉として表現するべきじゃ
戦前の精神文化に回帰する日本
◉戦後、大日本帝国時代の問題点を批判し解消する動きはあったがいつしか忘れられ、戦前から戦中の大日本帝国の問題点が甦った社会に回帰していく
◉保守派は、大日本帝国の名誉を傷つける行為があると激しく反発
→2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示された「平和の少女像」。少女像は実際には戦時中の暴力の批判など普遍的な平和を表現していたが、これが戦時中の慰安婦を連想させるとして、当時の河村たかし名古屋市長、大村愛知県知事、萩生田文部科学、松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事ら保守派が批判。
◉「保守派」が使う「反日」の対象は、南京虐殺や慰安婦問題、特攻批判など大日本帝国の批判者。つまり、「反日」の「日」は、民主主義国日本のことではなく、戦前の大日本帝国の日本。
◉民主主義が否定する思想のもとで実行された行為を「反日」と批判し、大日本帝国を肯定的に捉える者は「愛国者」と呼ばれる。こうした大日本帝国の価値観を基準とした「反日」「愛国」という言葉が国内で一般化されることは、大日本帝国の精神文化への回帰を生む。
民主主義国に変わったはずの日本で使用されている「反日」や「愛国」という言葉が、戦前の日本の精神文化を基準としているというのは実に紛らわしい。「愛国」を使っている人たちの多くが怪しげな団体で街宣車とかを繰り出しているという感覚は持ち合わせているものの、それでも誤解を生みやすい。本来はネガティブなワードではないわけだから。
でも現実的には「反日」「愛国」=極右派が使う言葉だという浸透を図るしかないのじゃろうか?
一番恐ろしいのは、このまま「反日」「愛国」を声高に叫ぶ人たちがのさばれば、民主主義の精神として反省されるべきものが反省されないまま、歴史は修正され、日本は大日本帝国への道を逆戻りしていきかねないことじゃ。
組織の利益を優先する日本企業
大日本帝国型精神文化は企業にもいまだ存在する。
◉国際的に見て日本の低賃金化が進む一方、経団連は企業の内部留保額膨張の傍ら賃金引き上げなしを発表(2021年1月)
◉経営者は学校を「人材」育成の場と捉え、教育現場にその気概を要求。日本軍上層部が前線補給が不十分なまま作戦達成を強いた図式と類似。
◉「人材」という言葉自体、人を何かの「材料」とみなす傲慢な思考。メディアも個々人の暮らしぶりより株価に注目。欧米と異なり残業が当たり前にも関わらず、低賃金のまま。日本の労働者はそれをおかしいとも思わずストライキもしない。
社員に犠牲を強いること、経営者に犠牲を強いられることが半ば当たり前になっている感覚は、戦前の価値観に通じるものがあって恐ろしいわい。
アジア人への非人道的行為
◉「外国人技能実習生制度」。元々は実習生が日本で技術を習得し、母国で活用することを目的に1993年から開始されたが、最低賃金を大きく下回る過酷な環境で働かされる実習生が増加。とある中国人の日記を契機に、国連機関と国際労働機関が日本政府に是正勧告を送る(2012年)
◉その後、制度変更があるも過酷な労働環境はまだ改善されていない
・2018年の調査時には、最低賃金を上回る待遇は全体のたった14.9%
・2020年の資料では、監督指導した事業場のうち7割超で法令違反
◉大日本帝国はアジアで強制的に住民を徴用し、軍事施設の建設作業に従事させた。1942年から1943年にかけて、イギリス軍人捕虜約6万人と20−30万人のアジア人をタイからビルマへの鉄道建設工事に動員。捕虜約1.3万人、アジア人約8.5万人が死亡。経営者がアジア人に対してとる傲慢な態度と重なる。背景に日本人を優越視する差別思想。
◉2021年、スリランカ人女性サンダマリさんが名古屋入管施設内での暴力や虐待で死亡。国連から国際法違反との指摘あるも日本政府は無視。日本軍でも東南アジア現地住民を拷問、虐待。
ワシが勤務している会社でも欧米亜の社員も少々いるんじゃが、なぜかアジアの社員に対しては言葉が無礼で偉そうにしている日本人社員が多い。
しかも、フラットに見てアジア人社員の方が多くの日本人社員より地頭もよければ価値観も成熟していることの方が多かった。
つまり日本以外のアジア人ということだけでよくわからない優越感みたいなものを持っておる日本人社員が多いんじゃ。
こうしたレベルの低い価値観や判断基準がどこから来ているのがいまだにわからないが、興味深かったのは半ばアジア人を馬鹿にする日本人社員ほど英語が苦手でグローバルマインドにも欠けている傾向じゃった。(独断じゃが)
ひとことで言うなら、教育や勉強が不十分。知見がどちらかというと狭く、上司というだけでヘイコラしている輩たちじゃ。
そういう自分を棚に上げてできるアジア人を馬鹿にしているわけじゃから、恥知らずじゃのぉ。おっと、ちょっと言い過ぎだったかのう?笑
何が言いたかったかというと、そういう理不尽な日本人優越感みたいなものがこうした非人道的事件の裏側にある気がしたんじゃ。
批判的精神が欠如する社会
◉大日本帝国時代の日本では、おかしいことがあっても反対意見はあがらず、自浄作用が機能しなかった。『日本国民は、批判的精神に欠け、権威に盲従しやすく、合理的精神が乏しいため、科学的な働きが弱い(新教育指針より一部引用)』
◉2019年のOECD調査で、日本は「批判的な思考」に関する問いで48カ国中最下位。一つ上の47位からも大きく離された。批判的思考とは、『物事を鵜呑みにせず、与えられた説明や解釈が妥当であるか否か、自分の頭を使ってさまざまな角度から検証する思考法を指す』
◉日本では自立的な個人の行動よりも、集団の秩序を守り上の者の言葉に黙って服従することが求められるため、批判的思考の必要性に対する理解が不足
◉日本では、全員が同じ方向を向いたほうが良い結果が残せると信じられている。第二次世界大戦では同じ方向に向きながら大失敗。国民に批判的精神があれば戦争被害が減らせた可能性があるほど批判的思考は重大。
学校にしろ、会社にしろ、共通しているのは「心理的安全性」の低さじゃ。
疑問に思ったことはなんでも言っていいよ、という雰囲気がとっても低い。減点されることばかり恐れている感じじゃ。これでは健全な前進は生まれにくいのぉ。
真の民主主義国になるために
必要なこと2つ
著者の山崎雅弘氏は日本が真の民主主義国家となり「敗戦を完結」させるために以下の2つを提言する。
◉大日本帝国の精神文化の問題を認識し、日本社会から徹底排除
戦争で命を落とした人を追悼した上で、人命を軽視する靖国神社などに代表される大日本帝国の精神文化と決別する。社会で散見される保守派や大日本帝国型の精神文化に注意を払い、取り除いていく。
◉日本国憲法の三つの柱「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を守り、本物の民主主義とはなんであるのかを我がごととして考え続ける
憲法の3つの柱は大日本帝国時代とは真逆の思想。戦前の日本では、国民に主権はなく、武力解決は当然で、国民の命は天皇に捧げるべきものだった。
日本人の最大の弱点
◉太平洋戦争を当時の国民は熱狂的に支持した。その理由は、新聞やNHKといったメディアの扇動だけでなく、「自己犠牲を伴う情緒的な美談に弱い国民性」がある。
◉多くの日本人は、美談に感動するだけで、その社会的影響やその美談の裏側にある政治目的や商業目的にはほとんど関心を寄せない
◉日本人の弱点を最大限利用して戦争を煽ったのが大日本帝国の軍人や政治家、メディア。肉弾三銃士、神風特攻隊などと称賛し、お国のために死ぬことを物語化し、国民が反対意見を言えない空気を醸成した。
ワシの祖父二人とも太平洋戦争を二十歳前後で経験した。それぞれ陸軍、海軍じゃった。でも戦争のことを聞くと二人とも話しにくそうにしていて「?」と思ったのを今でも憶えておる。
こっちは、あの時の日本は愚かだった的なコメントを期待して話を訊いている訳じゃが、そうした話は出てこなかった。かといって、日本軍の賛美も全くなかった。
二人とも亡くなっている今となっては確認しようがないが、戦時中は国や軍、メディアからの洗脳が激しく、戦争を熱狂的に支持する側だったのかもしれない。そして、戦争が終わってからそれが間違いだったことに気付いたのかもしれない。
二人とも良いおじいちゃんじゃった。今となってみると、祖父二人とも話しにくそうにしていたのが最も正直な反応だったのだろうと思えるわい。
ナチスと決別できたドイツ
戦前思想が各所に残る現代の日本と対照的なのがドイツ。
◉ドイツ政府もドイツ国民も、ナチス時代の精神文化を「社会が容認してはならないもの」として徹底的に社会から排除
◉ナチス賛美やホロコースト否定の言説、カギ十字などのナチス時代のシンボルは刑法で禁じられている
◉メルケル元首相は強制収容所での行為を「ドイツの恥」と断じ、一部で残る反ユダヤ思想については徹底的に批判。現在公開されている戦争関連施設でも、ナチスだけの責任にするのではなく、ナチスを支持したドイツ国民にも責任の所在がある旨説明。負の歴史としっかり向き合い、後世の人々が二度と同じ過ちを犯さない当事者意識を生む努力を続けている。
著者の山崎雅弘氏は最後に『このまま「日本の民主主義」が枯れていくのを、他人ごとのように傍観するのか。今の自分に何ができるか、みんなで一緒に、立ち止まって考えてみませんか?』と締めくくる。
大日本帝国時代は命が粗末に扱われる異常で悲惨な時代じゃ。
政治家や軍人やマスコミが戦争を扇動し、国民は盲目的にそれに熱狂し、結果、自らだけでなく周囲の国をも巻き込んだ大悲劇を生む。
自分の世代はもちろん、子供たちの世代以降、日本には二度とこんな時代を経験してほしくないと切に祈る。
気になるのは、戦前と同様に現代も貧困や格差が広がっていることじゃ。日本の経済力や活気は年々失われてきていて、日本企業内でも権威主義が進み競争力が失われてきている。弱者につけ込んでカルト教団が跋扈し、保守派はそのカルト教団を票田として活用。ロシアや中国との地政学的なリスクが高まるなか、保守派の改憲意欲が増している。
残念ながら、Twitterや報道、著作物などでも「保守派」や大日本帝国の擁護につながる意見や作品は溢れるくらいにあって、増殖している。
いかんせん、日本人は自己犠牲的な情緒溢れる物語にコロっと傾倒し、大事なことを犠牲にしてしまいがちだ。
このままでは日本は危ない。戦前の日本の思想に戻ってしまう。
日本再生の鍵は、一人一人を大事にする真の民主主義の追求にある。
世間の様子に注意を払い、地道にアクションを取り続けることは、問題への気づきや解決を促すためにも、子供たちの未来を守るためにも重要だ。
著者の山崎雅弘氏もTwitterで日々パワフルに発信を続けている。(@mas__yamazaki)
繰り返しになるが、本レビューを読んで内容に興味を持たれた方はぜひ本書を読んでいただきたい。全く内容に触れていない章もあれば、個々のポイントについても解像度や深みが全然違うからじゃ。