レビュー

【傑作】是枝監督「ベイビー・ブローカー」 レビュー/感想

時間を経ても静かな感動が残る映画、「ベイビーブローカー」のレビュー・感想をお届けします。

赤ちゃんを取引するダークな映画と思いきや、いい意味で裏切られた傑作でした。

カンヌ映画祭では2冠を獲得しましたが、個人的には最高賞のパルム・ドールを受賞していてもおかしくないレベルの作品と感じました。

まだ劇場公開中ですので、気になる方はぜひ劇場まで足をお運びください。

ストーリー(*ネタバレあり)

舞台は韓国。

『古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨン(イ・ジウン)が〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが…。』(公式サイトより)

<以下、ネタバレあり>

映画が進むにつれ、若い女ソヨンが売春経験があること、赤ちゃんの父親(暴力団員?)を殺したこと、そうした背景が赤ちゃんポストの利用につながっていたことが見えてくる。

ベイビー・ブローカーの二人も単純な金儲けではなく、子供を引き取る先が「赤ちゃんを幸せにできないのであれば売らない」という信念を持って買い手を探している。

赤ちゃんをみんなで子守りしながら養父母探しの旅を続ける中で、若い女とベイビー・ブローカー達、そして旅を共にすることとなった養護施設の子供の間に不思議な一体感のようなものが育ってくる。

「捨てるなら産むな」という考えを持っていた刑事のスジン。尾行を続けるうち、若い女のやむに止まれない背景やベイビー・ブローカー達の赤ちゃんへの思いを理解し、自らも赤ちゃんの人生を守っていきたいという心の変化が生まれる。

刑事スジンは若い女ソヨンにベイビー・ブローカー達を逮捕するための協力を依頼することを思いつく。あわせてソヨンに殺人を自首することで刑が軽くなることを教える。

最終的にソヨンは自首し、ベイビー・ブローカーのドンスは良き養父母に赤ちゃんを渡そうとするところで現行犯逮捕となる。もう一人のベイビーブローカー、サンヒョンは赤ちゃんの父方の母親からの奪取を防ぐため、チンピラ風の男を殺してしまう。

3年後(?)、刑期を終えた若い女はガソリンスタンドでの勤務を終えると成長した赤ちゃんとの面会場所へと急ぐ。

この3年間、赤ちゃんを育てていたのは刑事スジンとその夫。待ち合わせ場所には、その刑事の夫婦以外に、ドンスが逮捕される前に子供を預けることになっていた養父母の姿。養父母探しに同行していた養護施設の子供、そしてドンスも待ち合わせ場所に向かっていくシーンで終わる。

人に備わる根源的な特性

産みの母親が元売春婦のシングルマザーで殺人者。
きっと厳しい人生を余儀なくされるであろう小さな命。

そんな赤ちゃんでもより良い未来を迎えられることを願い、母親だけでなくそれぞれ抱えるものがある他人同士が協力し合う。そして一人の赤ちゃんの幸せをサポートし合うこと自体が、自身の生きがいにもなっていく。

映画では、赤ん坊一人に対して7人もの人がその成長に何らか関わっていく。
冷静に考えればおとぎ話的なのかもしれない。

けれでも「起こりうる話」として伝わってきたのは「人間が持つ普遍的な願い」が本作では描かれているからではないだろうか。

目の前に何の拠り所もない小さな命がポンと置かれた時に人が持つ感情。

触ると温もりがあり、すべてをそのまま受け入れるしかないまっさらな命。

可能性に満ちた赤ちゃん。

何らかの見返りを求める以前に「何とかしてあげたい」という気持ちが湧く。

できることなら「幸せ」になってほしい。

誰しもとは言わないまでも、人にはこうした気持ちが「根源的」に備わっているのかもしれない。

映画に登場する人物の多くは、犯罪、貧困、孤独など重たいものを抱えた人生を歩んでいる。そんな不遇な立場でも、無力な者の助けになりたいという「情」がある。(もしかするとそういう立場だからこそ余計に)

自分が他の誰かにいい影響を与えることで、社会で十分に肯定されているとはいえない自分自身の肯定感が増す。

与えたい。
そして、与えることで与えられる。

人にはこうした尊いともいえる特性が埋め込まれているのではないか。
「ベイビー・ブローカー」を見て気づかされたことだ。

是枝監督の課題感は何だったのか

(公式サイトより)

自分の存在自体に不安を抱いている養育施設の子供たち。
是枝監督は「この世に生まれなければ良かった命など存在しないと自分は彼らに言い切れるのか」という問いを自らに投げかけている。

NHKの番組では、監督のこうした思いをさらに深掘り。

命をどう肯定できるか

NHK「クローズアップ現代 僕はまだ成長できる〜映画監督・是枝裕和の挑戦〜」(2022.6.29)では是枝監督の長時間インタビュー模様が放映された。

*インタビュー詳細はこちら

(NHKサイトより)

殺人事件の容疑者と接見

2016年に19人もの犠牲者を出した相模原障害者施設殺傷事件の植松容疑者と是枝監督は接見したという。

容疑者自身が持つ役に立たない人間を生かしておく余裕は社会にないという考えに対して、世間ではそれに同調する声もあった。

是枝監督はそのことに強い危機感を抱く。

「生きるに値しない命というものがあるのか?」

◉「自己責任」という言葉が声高に言われて来て以降、すごく前提が崩れてきている。いろんなことが本人の責任で、それを社会の責任と考えない人たちの声の方が大きくなってきた。いろんなものが効率で考えられるようになって、文学部の予算が削られるとかも同じだが、「役に立つか立たないか」が命の基準として適用され始めていることに抗いたい

「命をどう肯定できるか」を考えながら作った。

◉(この映画は)疑似家族の話ではない。もう少し先に行かなければ。

生きる、を支え合う

命の肯定

是枝監督の言葉「命をどう肯定できるか」を象徴するようなワンシーンがある。

赤ちゃんを養父母に渡す前日。
宿泊先でサンヒョン(ベイビー・ブローカー)のセリフをきっかけに、ソユン(赤ん坊の母親)が部屋の電気を落とし、ベッドに仰向けになった状態で一人ひとりに伝える。

「生まれてくれてありがとう」

今回のテーマ「命を肯定」をストレートに表現したセリフ。

セリフそのものはオリジナリティが高いわけでもなく、それこそどこかで聞いたことがあるかもしれない言葉。だが、これまで養父母探しを一緒に旅してきていよいよ明日赤ちゃんを引き渡すタイミング、かつ共に養護施設で育ったドンス(ベイビーブローカー)や一緒に旅する子供のヘジンにとってはこれまで言われたことがなかったかもしれない言葉。それを血のつながりのないソユンが伝える。ソユンの声が心に染み込み、涙を誘う名シーン。

『生まれてくれてありがとう』は、「生まれたこと」自体を語りながらも「今のあなたの存在そのものを肯定」している。

それは、あなたが生きていることが自分に価値があるからこその感謝であり、あなたがいる世界に自分も生きていたいことの表明ともとれる。

ソヨンが語るこのシーンは暗くした室内。映画館の中も暗い。ソユンがベッドに横たわり、上を見つめるカットがスクリーンに映し出されると、ソユンと観客とが1対1かのような感覚にもなる。もちろんソユンは、自分がいる部屋の人の名前を呼びながら「生まれてくれてありがとう」とつぶやくのだが、観客である自分に向かっても言われているような不思議な気持ちになった。

是枝監督が言うような『「役に立つか立たないか」が命の基準のようにも感じられる今の社会』で、自分の存在が全面肯定されていると感じることはどれだけあるだろうか?

人生に困っているのに社会が頼りないとき、拠り所になるのが家族だ。
でも、家族がいない、あるいは家族の中の関係性が脆弱悪いと、支援が欲しくとも孤立無援状態になる。孤立していては、生きていることの肯定感は非常に得にくい。

今の社会は、IT技術の進化でつながりやすくなったようにも見えるが、困った時に頼れるだけのつながりは果たしてどれくらいあるだろうか?

むしろ、技術の発展自体がドライな社会を促進している側面もある。お金さえあれば便利な生活が手に入れられる世の中になった。

人が孤立しやすい社会は、人が全肯定される機会が減った世界だ。

今、「生まれてくれてありがとう」と言い合える関係性が減ってきている。

ドライな社会を変えるには?

社会を拠り所とした子育て

是枝監督が言うように、今の社会では自己責任や効率性が重視され、命が肯定されにくくなってきているのかもしれない。

一方、「ベイビー・ブローカー」では、血がつながっていようがいまいが赤ちゃんの未来をより良くしたいという思いで共に行動する。それが精神的なつながりや一体感だけでなく、一人ひとりの肯定感までもが高まっていく。

ここに、ドライな現代社会をより良く変えるためのヒントが隠れていないだろうか?

子育てにフォーカスすると、もし社会に子供たちを一緒に育てていく共同体的なマインドが醸成できればどうなるだろう。「ベイビー・ブローカー」同様、社会の中の精神的なつながりや一体感が増すかもしれない。その社会の対象範囲が地域レベル、国レベルと広がれば、幸福感がさらに増すかもしれない。社会そのものが家族のような拠り所なり居場所へと変化していく。言葉にすると陳腐だが、安心できる社会、助け合える社会、頼りになる社会とも言える。

赤ちゃんポストにも社会的な意義はあるのだろう。
この映画を見るまでは、私もどちらかというと映画の登場人物の刑事と同様「捨てるなら産むな」派だった。産んだ子供をポストに入れた方がいいと思うシチュエーションまで想像ができていなかった。しかし、今の社会は困っている者や弱者には冷たい。赤ちゃんをいざ産んで育てようとしたときに、社会的な弱者が安心して必要十分な子育てができるような社会ではないのだと思う。少しでも赤ちゃんにはいい未来を提供したい。そのためには赤ちゃんポストを利用した方が子供のためになる。命を捨てるのではなく、むしろ守りたい一心で祈るような気持ちから赤ちゃんポストに我が子を入れているのかもしれない。赤ちゃんを育てていくのは見ず知らずの人たちだが、それは広い意味では社会とも言える。赤ちゃんポストは、社会で赤ちゃんを育てていく仕組みとも考えられる。

世の中では、親に虐待されて亡くなる子供のニュースが後を絶たない。虐待をするような親は赤ちゃんポストを使うという発想すらないのかもしれないが、そうした運命にある子供は赤ちゃんポストに入れられていた方がより幸せな人生を送れていただろう。いつからか虐待が増えた子供の場合でも、虐待の危機に瀕していないか子供を見守り、救い出せるような赤ちゃんポストとは異なるタイプの社会的な仕組みも必要だ。

キーはサステイナブルで深い人間関係

困ったときに頼れるような関係性の減少は、様々な調査データからも窺える。

・単独世帯の増加
・少子化の加速に伴う世帯構成員数の減少
・年齢とともに減少する友人の数
・主要先進国トップの若年層自殺率

孤立・孤独が年々身近なものになってきている。

「ベイビー・ブローカー」では複数の人たちが継続して子供に関わっていくシーンで終わるが、人同士が「継続」して関わりあうことの重要性の示唆とも取れた。

学校でも会社でも、学業や仕事という共通目的を超えて長期的な人間関係を築くのは難しいものだ。 同じクラス内の生徒が、あるいは職場内の社員が生活に困窮しているから周囲が手を差し伸べた、なんて美談はあまり聞いたことがない。どれだけ大きな共同体に属していたとしても、日頃の距離が近いからとか過ごしている時間が長いからといって必ずしも頼りにはできないのが今の社会だ。

こうした状況を好転できるとすれば、持続可能な、サステイナブルな深い人間関係ではないだろうか。属している学校なり会社なりを超えて、長期に渡って関わり合える人間関係。時間だけでなく、互いに信頼や情を深められる関係。そうした関係性を作ることができれば、困った時でも孤立を防ぎ、助け合うことができる。

例えば、子供たちとの関わり方。未来を担う子供たちを、家庭や学校などの限られた場所にとどめるのではなく、もっと幅広くかつサステイナブルな人間関係が深められるような機会を増やしていく。仮に親のいない子が、他の子供の親や、子供のいない大人などとの関係を築けるようになれば、絆の数は増えて孤立しにくくなるだろう。拠り所としての社会も強化される。

子供に限らず、今の社会では、親がいる/いない、親の子育ての適性のあり/なし、既婚/未婚、結婚していて子供がいる/いない、などの環境によって孤立化のリスクが大きく左右される。このリスクを少しでも軽減できるよう、社会の中でつながりを増やしていく工夫ができれば、子供も大人もより肯定感を持って人生を送れるのかもしれない。

人を殺してまで守るべきものはあるのか

「ベイビー・ブローカー」では幼い命を守る過程で殺人が2件起きている。

一つ目は、若い女ソヨンによる赤ちゃんの父親の殺害。もう一つは、ベイビー・ブローカーのサンヒョンが赤ちゃんが奪われるのを防ぐためにチンピラ風の男を殺害している。

これらの殺人は必要だったのか?が、ずっと引っ掛かっていた。

いずれの殺人も、実行できていなければ赤ちゃんの未来は非常に暗いものになっていた可能性は高いのだが、一つの命を守り抜くために倍の数の命が犠牲になっているという事実は重たい。

人を殺してまで守り抜きたいものがあったといえば美しくも聞こえる。が、人を殺すことが前提の社会は決して理想の社会にはなり得ない。だとすれば、考えるべきは「人を殺さざる得ない状況を生んだ社会」の方なのかもしれない。

殺人を犯したソヨンもサンヒョンとも、立場的に社会の端で孤立しているような存在だ。経済的に苦しく、頼れる先もなく、とにかく自分でなんとか解決するしかない。

是枝監督が危惧していた極端に「自己責任」を要求する現代社会。2つの殺人事件は、こうした過度な自己責任社会が生み出す大きな「負」の側面を描いていると考えると腑に落ちる。

自己責任は社会からの孤立を生み、孤立すると人を殺すことでしか解決できないことも生まれる。2つの殺人は、行きすぎた自己責任が生む孤立の弊害を象徴していたのかもしれない。

新たな制作スタイル

是枝監督ほか数名の日本人を除いてすべて韓国人スタッフで作られたという「ベイビー・ブローカー」。監督とのコミュニケーションは通訳を介して行われ、過去の是枝作品では存在しなかった直筆の絵コンテには撮影の狙いなども細かく書き込まれた。監督は個々の俳優宛に手紙を送り、各々のキャラクターの背景などの説明がなされたという。

そもそも実力派の俳優が多く起用されているが、こうしたコミュニケーションの深さも相まって、「ベイビー・ブローカー」では各キャラクターの人間性がしっかりと埋め込まれ、まるでドキュメンタリーを見ているかのようなリアリティが感じられる。

俳優陣は、ベイビー・ブローカーのソン・ガンホとカン・ドンウォン、刑事役のぺ・ドゥナとイ・ジュヨン、そして養護施設の子役、いずれも高い演技力で惹きつけられたが、特に印象深かったのが、若い女ソヨンを演じたイ・ジウン。

ソヨン役のイ・ジウン

全体的にどこか諦めたようなムードが漂いながらも、ここだけは譲れないという芯の強さを感じさせられ、抜群の存在感を放っていた。先述した、天井を見上げながら「生まれてくれてありがとう」のシーン、観覧車の中でドンスに顔を隠されながら涙するシーン、列車の中での会話のシーンなど本作で心を揺さぶられた名シーンでの彼女の貢献度は高い。

驚いたのが、イ・ジウンは映画出演が初めてということだけでなく、長らくIUという名で活動してきた人気歌手だということ。これまでの活動について全く知らなかった者からすると、IUとして可愛らしく踊りながら歌う姿と、俳優イ・ジウンとして演じたソヨンとのギャップがあまりに大きく、いまだに両者の脳内マッチングがうまくいかない。

IU “BBIBBI”
日本語バージョンも ( IU “You&I )

韓国語がわかる人からすると「ベイビー・ブローカー」の一部のセリフに不自然さがあるようだが、言語や文化の壁を超えて、日本人の監督がほぼオール韓国人スタッフと俳優で傑作と言えるほどのクオリティの作品を制作し、かつカンヌ映画祭で2冠を達成したというのは快挙だ。

この映画の成功が、絶えることのない日韓問題や海外市場になかなか打って出られない国内のエンタメ業界コンについていくばくか前進させるきっかけになるかもしれない。

一つの命も大切にする社会

誰しもがみんな、ひとりの人間として幸せな人生を送りたい。
だが、今の世の中では社会的に孤立しやすく、孤立すると生きている価値を感じにくくなる。
境遇によっては、自分は望まれて生まれて来なかったという絶望感すら抱く。
孤立すると、愛が脇に置かれた中で人生が過ぎて行く。

「ベイビー・ブローカー」では、孤立という暗闇を背負う人たちが、赤ちゃんの未来を共に作ることで一つになり、希望と自己肯定感が生まれた。

人には、子供に幸せになってもらいたいという稀有な感情が備わっている。
この気持ちをもっと社会の中で生かしていければ、拠り所としての社会の機能が高まり、孤立する人が少ない世の中へと近づくのだろう。

たった一つの命をみんなで大切にすることが、多くの人が暮らす社会全体を良くしていく。

「ベイビー・ブローカー」はそうした是枝監督の強いメッセージが感じられる傑作だ。